日本の民族
民族
日本民族、 日本の民族問題、および 日本の外国人も参照
日本人(大和民族)が、日本全体の9割以上を占めている。
「日本人」の歴史
日本人の起源は、いわゆる縄文人を基層に弥生時代前後に北東アジアから移住した人々が融合した。日本人の起源そのものについては北方ユーラシア大陸にルーツをもつ人々が中心となって形成されたとの説が有力だが、詳細については諸説あり、定かではない。自称としては「和人」、あるいは近代的民族意識の下では「大和民族」「日本民族」とも言う。古代からの天皇を頂点とする近畿地方の朝廷と、中世以降における天皇を支配の正統原理として後ろ盾とする武家政権との、二重構造で成立していた中央政権の支配下に入った地域の住民が、固有の日本民族とされる。南西諸島の人々は縄文時代から弥生時代にかけて九州から南下した人々が中心となっているとされ、本土の住民とルーツを同じくしているが、アイヌ民族の起源はいまだ明らかになっていない。
縄文晩期以降、ユーラシア大陸からの移住者が縄文時代からの土着の狩猟採集民と混血しながら倭人(和人)としての文化を形成していく。ヤマト王権の成立に伴い、和人としての文化的一体性が形成されていく。その後は蝦夷など朝廷の支配下に入るのが遅れた人々を同化しながら和人の文化圏は拡大を続け、平安時代までには本州・四国・九州の全域が和人の生活範囲となった。江戸時代には、薩摩藩による琉球への侵攻、松前藩のアイヌ支配の確立により、北海道・南西諸島を含む日本列島全域が和人の勢力圏に置かれる。ただし、渡島半島を除く北海道では、江戸時代当時の米が寒冷地に適さなかったこともあり、アイヌ等の狩猟民族の文化が明治時代まで保存されていた。現在、アイヌ語を第一母語とする日本人はいないが、アイヌ文化振興法が制定され郷土文化の保存と再興が図られている。ただし、北海道の狩猟民族はアイヌだけではなくウィルタ、オロッコ、ニヴフ(ギリヤーク)、ナナイなど多岐にわたる上、一口にアイヌ文化といっても地域差が大きかった。これは文字や統一国家を持たず、部族単位で分拠していたためである。
中世以降、北海道・千島列島・樺太南部(蝦夷地と総称する)に居住したアイヌ(ウタリ)及び、沖縄本島に成立し南西諸島の大半を支配下に置いた琉球王国については、それぞれ「北の日本」、「南の日本」とも称される。これらの地域に住む人々は、弥生時代以降、「中の日本(主要な3島及びその周辺島嶼を指す)」とはやや異なる歴史を歩んだ経緯がある。ただ、元来、鎖国基調にあった、中の日本に対し、琉球は南方で、アイヌは北方でそれぞれ大陸勢力との接触・交流を担っていたという構造が背景にあり、中の日本は限られた窓口を通じての大陸勢力との直接接触を除くと、琉球、アイヌを通じて間接的に大陸勢力と接触していた側面が色濃い。なおアイヌと共に樺太にいたウィルタ、ニヴフは、樺太南部へのソビエト侵攻と占領後、北海道や本州へ移住した。今でもロシアに対して樺太南部の返還を求める声も僅かながらある。また小笠原諸島には19世紀初頭ハワイから植民団が入植し、ヨーロッパ系アメリカ人やハワイ人による小規模なコロニーを形成したが、明治維新後日本領有が確定し、ヨーロッパ系、ハワイ系住民は順次日本国籍を取得し、日本人社会に溶け込んでいった。
外国人と帰化
現在総人口の約1.5%が外国人登録者である。韓国籍、朝鮮籍、中国籍、台湾籍、ブラジル国籍、フィリピン国籍などが多く、韓国・朝鮮籍を除けば増加傾向にある。韓国籍、朝鮮籍、及び台湾籍については、戦前の旧日本領の出身者及びその子孫が多く、中国残留孤児や家族の永住帰国も多い。さらに、韓国籍、朝鮮籍に関しては朝鮮戦争の戦火から逃れた難民も多い。また近年の外国籍増加の背景には、1990年(平成2年)の入管法改正でブラジルなどに移民した日本人移民及び子孫の、日本での就労が自由化された事が大きく、さらに結婚の国際化などもある。
台湾 朝鮮出身者
1895年(明治28年)に台湾を、1910年(明治43年)に朝鮮半島を併合後、太平洋戦争敗戦まで日本国の一部として、台湾人、朝鮮人にも日本国籍を与えていたため、両地域からの出身者が多く、順次本土に移住してきた者も少ない。また大戦中に軍人、軍属として、または労働者として志願または徴用され日本国内に来た者もいる。大戦終結後、彼らは祖国へ引き上げる機会もあったが、各人の判断や事情によって日本国内に留まった。その後、サンフランシスコ平和条約締結によって、日本国籍を喪失したが、日本政府より特別永住権を付与されたため在住し続ける者も多い。現在では日本生まれの人間が多数派であり、帰化して日本国籍を取得する者が多い[84]。彼らのうち、在日朝鮮人は北朝鮮との外交上の関係から地域によっては微妙な立場に立たされてることもある。
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