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touhun
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登録 2008-11-29
投稿 2008-11-30 19:11  资料 ブログ メッセージ 
日本の歴史

歴史
詳細は日本の歴史および各時代の項目を参照

アイヌと琉球王国については、日本の領域に含まれたのが近代以降であり、それ以前の歴史の詳細を各々の項目にて解説している。

概観
日本の歴史は通常、日本列島における歴史と同一視されているが、国号節で見たように、厳密には「日本」の成立は西暦700年前後の出来事であり、「日本の歴史」と「日本列島の歴史」を明確に区別してとらえるべきとする考えも出されている[25]。本節では国家としての日本がたどった歴史とその領域の変遷を中心に見ていくこととする。日本の歴史の詳細については日本の歴史および各時代の項目を参照されたい。

日本の歴史の時代区分は、考古学上のものと歴史学上のものがある。考古学上の時代区分は、旧石器時代(先土器時代)、縄文時代、弥生時代、古墳時代、歴史時代、とするのが一般的である。一方、歴史学上の時代区分としては、古代(飛鳥時代およびそれ以前・奈良時代・平安時代)、中世(鎌倉時代・室町時代・戦国時代)、近世(安土桃山時代・江戸時代)、近代(明治・大正・昭和およびそれ以降)の四分法が通説である。(→日本の歴史#時代区分節)

日本列島の人類の歴史は、約10万年前以前ないし約3万年前に始まったとされる。当時の日本列島はアジア大陸と陸続きであり、西方の華北・北方のシベリアとの文化交流も見られた。約1万2千年前の前後に最終氷期が終わると、日本列島は大陸から分離した。この後も列島と大陸との間に活発な通交・交流が行なわれ、巨視的には日本列島も中国を中心とする東アジア文化圏の影響下にあったが、東アジアの最東方に所在する島国、という地理的条件によって、日本は他の東アジア地域とは異質な要素を持つ文化・社会を発達させていった。

紀元前8世紀頃以降、大陸から稲作を中心とする文化様式が伝わると、各地に「ムラ」「クニ」と呼ばれる政治組織が徐々に形成され、1世紀・2世紀前後には各クニの連合による倭国と呼ばれる大規模な政治組織が出現した。この連合的政治組織は3世紀・4世紀頃に統一王権(ヤマト王権)へと発展すると、7世紀後半には中国の法体系・社会制度を急速に摂取して8世紀初頭に古代国家(律令国家)としての完成を見るに至った。「日本」国号と天皇号は、この古代国家の建設・成立と軌を一にして登場したと考えられている。当時の日本は隋との通交以来、中国と対等な外交関係を結ぼうとする姿勢を見せており、中国を中心とする冊封体制からの独立を志向していた。他の東アジア諸国とは異質な外交姿勢であり、この外交姿勢は、その後の日本にも多かれ少なかれ引き継がれていった。

成立当時の「日本」の支配地域は、日本列島全域に及ぶものではなく、九州南部以南および東北中部以北はまだ「日本」の領域外だった。九州南部は8世紀末に「日本」へ組み込まれたが(→隼人)、東北地方の抵抗は強く全域が「日本」の領域となったのは鎌倉時代に入ってからである(→蝦夷)。特に8・9世紀は、蝦夷征服活動が活発化するとともに、新羅遠征が計画されるなど、帝国としての対外志向が強まった時期だが、10世紀に入るとこうした動きは沈静化した。

11世紀後半から12世紀にかけて、旧来の天皇を中心とする古代律令国家体制が大きく変質し、社会各階層への分権化が進んだ中世国家へと移行した(→荘園公領制・職の体系)。12世紀頃(平安末期)から起請文などの古文書に「日本」「日本国」の表記が見られ始め、これは社会に「日本」「日本人」の意識が生まれたことの現われと考えられている。特に13世紀後半の元寇(蒙古襲来)は、「日本」「日本人」意識が社会各層に広く浸透する契機となり、あわせて「日本は神国」観念を定着させた。網野善彦は、このように「日本」「日本人」意識は、外国のみならず神仏なども含む「異界」に対する関係性の中で醸成されたとしている[26]。室町時代には「日本」の領域が北海道南部まで及んだ。

14世紀 - 15世紀の時期には、社会の中世的分権化が一層進展していったが、15世紀後半頃から戦国大名勢力による地域国家の形成が急速に進んでいった。この地域国家形成の動きは、中世社会の再統合へとつながり、16世紀末には日本の統一政権が樹立されるに至り、時代は近世へと移行した。「日本」の領域はこの時期にも変動している。16世紀末に蠣崎氏が北海道南部に本拠を置き、北海道・千島・樺太を含む蝦夷地の支配権を得た。蝦夷地は「日本」の領域とされることもあれば、領域外とされることもある、いわば境界というべき地域だったが、18世紀にシャクシャインの乱やロシア帝国の進出によって北方への関心が強まると、アイヌおよびロシアへの他者意識が「日本」「日本人」観となって庶民層にまで定着し、「日本」の領域も蝦夷が島(北海道)以南と意識されるようになった。南方に目を向けると、「日本」の西の境界は、中世を通じて鬼界島・硫黄島までと意識されていた。17世紀初めに薩摩島津氏が琉球王国を侵攻し、支配下におさめたが、その後も琉球王国は日本・中国への両属を続けた。

19世紀中葉に入り、欧米列強との接触が飛躍的に増えると、列強各国に対する他者意識の裏返しとして「日本」「日本人」意識がますます強まり、現代の「日本」「日本人」意識とほぼ一致するまでに至った。アジア各国が欧米列強の植民地とされていく中で「日本」が独立の歴史を長く保ったことは、国民国家意識の醸成をもたらし、結果として明治維新以降の近代国家建設の基礎となったと考えられている。

明治維新を迎えた日本は、近代的な国民国家の建設を急速に進めていった。同時に近隣国と国境確定を行い、1875年(明治8年)に樺太を放棄する代わりに占守島以南の千島列島全域を日本領とし(→樺太・千島交換条約)、南西諸島方面は琉球処分を通じて実効的な支配に成功し、ここに一旦、近代的国家としての日本国領域が確定した。

自由民権運動を経て日本は1885年(明治18年)に、内閣制度を確立して、1889年(明治22年)には大日本帝国憲法を制定し、1890年(明治23年)に第1回衆議院議員総選挙を実施して帝国議会を設置した。こうして日本は、アジアで初めて憲法と議会を持つ、近代的な立憲国家となった[27]。

19世紀後半 - 20世紀初頭当時の帝国主義的な国際情勢の中で、東アジアに一定の勢力圏を築く必要に迫られた日本は、日清戦争や日露戦争を経て勢力圏の確保を進めた。両戦争を通じて日本は、台湾・澎湖諸島および南樺太を領土におさめ、関東州租借権を獲得した。その後日本は、1910年(明治43年)に韓国併合を、1919年(大正8年)に国際連盟からの委任を受けて南洋群島の領有権・統治権を獲得した。また、大正時代には大正デモクラシーが起こり、政党政治と普通選挙が実現した。

1930年代には中国東北部への進出を強め、満州国を建国・傀儡化して一定の支配権を得るにいたり、国内では軍部が台頭した。こうした対外志向は、特にアメリカ合衆国をはじめとする欧米諸国との権益と真っ向から衝突し、最終的には1945年(昭和20年)の太平洋戦争、日中戦争(大東亜戦争、十五年戦争)での敗北によって破局に至った。

敗北した日本は、連合国軍の占領体制下に置かれ、日清戦争以降に獲得した領有権・統治権の総てを事実上失った。日本が他国の支配を受けるのは史上初の経験だった。連合国占領下において国制改革が進められ、憲法改正を行い、日本国憲法を制定した。1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約により占領が解除されると、その後の日本は1970年代半ばまでに目覚しい経済発展を遂げた(→高度経済成長#日本の高度経済成長)。また1968年(昭和43年)には小笠原諸島、1972年(昭和47年)には沖縄県の施政権がそれぞれアメリカ合衆国から返還された(→沖縄返還)。

1970年代後半以降の日本は、先進国の一員として数々の国際的役割を果たし、多くの発展途上国では成長モデルとして目標にされてきた。21世紀に至り、日本は社会の超高齢化とそれに伴う人口減少、経済の世界規模化への対応などの課題に直面している。


建国をめぐる議論
『日本書紀』神武紀に、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が辛酉年春正月庚辰朔(1月1日)に即位したとの記述があり、戦前はこれが日本建国の画期と考えられていた。明治5年11月15日(1872年12月15日)には、神武天皇即位紀元が西暦紀元前660年に始まると定められ、紀元前660年を元年とする紀年法「皇紀」が1873年(明治6年)1月1日から使用された[28]。

公的には前述の神武天皇即位紀元をもとにして、1966年(昭和41年)、建国記念の日となる日を定める政令(昭和41年政令第376号)によって2月11日が「建国記念の日」に定められた。(→建国記念の日)

しかし、歴史学の立場からすると、神武天皇即位は歴史的事実とはされておらず、神話の反映と見られている。戦後になり皇国主義的な歴史観が排除されると、皇紀が使用されることはほとんどなくなった[29]。

日本の建国時期として、このほか「日本」国号が定められた時期(飛鳥浄御原令または大宝律令の成立時期)、大政奉還がなされ近代国家建設が始まった明治維新の時期、ポツダム宣言を受諾して新たな日本建設が始まった時期、サンフランシスコ講和条約を結び主権を回復した時期、などが挙げられることがあるが、国家としての日本は長い歴史的経緯を経て形成されており、明確な建国の画期を見出すことは困難であり、建国をめぐる議論は主観的なものとなりがちである。
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